米が炊けるまでの話
牡蠣カウリスマキ

12月15日(日)、ブレンディスティック紅茶オレの夜です。

 

 

人には恐怖心というものがある。

何に恐れおののくかは人それぞれである。

 

 

よくロシアのユーチューバーが

ものすごく高い建物のてっぺんまで登ってニコニコ自撮りなんかしているが

あれなんかも高所恐怖症の人からしたら考えられないことだし、

私が昔バイトをしていた寿司屋のジャンポールベルモンド似の板前さんは

先端恐怖症のだったので、指なんか差そうものならシャリが飛んできそうなくらい嫌がった。

そもそも人様に指を差してはいけない。

 

 

まあそんなことはどうでもいい。

私は何が怖いのかというと生牡蠣が怖い。

なぜあれが食べれるのか気がしれない。

しかしこれもやはり牡蠣好きの人からしたら私の方の気がしれないのだろう。

 

 

ただ厳密にいうと私は牡蠣が怖いんじゃなくて「食あたり」がこわい。

だから道端で牡蠣に絡まれても応戦はできると思う。蹴っ飛ばして私の勝利だと思う。

しかしいざ皿に出されて召し上がれと言われると息を飲んでしまう。

 

 

元々そんなに腹が強い方ではないので、

なまものはおろか焼き物揚げ物でも人より気をつけて食べている。

それでもこの夏カンピロバクターにやられて一週間ほどひどい目に遭った。

だから私の注意力はたかが知れている。

 

 

そうして先日飲み屋にて、

私はたかが知れている注意力すら部屋に置いてきてしまっのだろう、

山盛りの牡蠣がテーブルに運ばれてきた。

崩れたサグラダファミリアみたい。

友人の「この量でこの金額は安すぎる」というパワーワード。

じゃあ危ないんじゃないの?

ただこの牡蠣は生牡蠣ではなくて蒸してあった。

私は幸い蒸してあるものであたったことはない。

しかし相手は牡蠣である。

でもまあ蒸してあるし。

でも牡蠣。

蒸し牡蠣。

友人が隣でなんか喋ってる。

なにも入ってこない。

なにこのゴツゴツした殻。

でも殻の隙間からプニプニしたのがこっち見てる。

こっち見んな。

頭の中がめんどくさい。

お酒も飲んでるしもういいや。

 

 

そうして口に放り込んだ私の怖くて嫌いなものは

今年一うまいものだった。

 

 

おやすみ日本

 

 

 

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湯河原

12月2日(月)、オレンジジャムの夜です。

 

 

11月の暮れ、20余年振りに家族旅行に行ってきた。

場所は湯河原。温泉宿に一泊である。

 

 

両親には内緒で計画を立て、驚かしてやろうと姉から提案があったのが8月。

9月に行こうという話であったが宿を探し始めたのは10月。

亀のようなスピードで話を進め、

結局宿が決まったのが11月という体たらくである。

 

 

しかし結局の11月ではあるが季節は紅葉。

なにか我々の目に見えない力が20余年振りの家族旅行に花を添えた感もあり、

随分と久しぶりに浮足だった。

そんな私よりも浮足だったのが他でもない姉。

宿を予約し日取りが決まると早速サプライズを忘れ両親に連絡。

母は電話越しでまだ一ヶ月ばかり先の旅行に興奮して眠れないと子供のような事をいい、

結局は家族一帯が浮足立っている事に気がつき冷静さを取り戻して当日を待った。

 

 

迎えた当日。雨予報だったが東京駅でこだまに乗り、新横浜に着くと日が差してきた。

そして小田原でまた雨が降り出し、熱海でまた日が差してきた。

女心と秋の空と謳ったのはこだまの乗客かもしれない。

 

 

14時半、湯河原駅に集合という事になっていた。

ところが朝から母と連絡が取れず、姉に聞くも音信不通だという。

母は姉の結婚式当日に原因不明で死にそうになった過去がある。

楽しみにしすぎるとなぜか死亡フラグが立つ事を思い出した。

 

 

そうしてモヤモヤしながら熱海駅にまもなく到着というところで

母から「まもなく熱海です」とラインが入る。

母は生きていた。そして同じ新幹線に乗っていた。

東海道線に乗り換え、程なく一行は湯河原駅に着いた。

 

 

宿から送迎バスが呼べるとの事だったが

30分程かかるというのでタクシーで向かう事に。一台では乗り切れないというので

先に父と私以外を乗せ、次のタクシーに父と私が乗った。

しかし数分後、先に宿に着いたのは父と私であり、

これが今年最大のミステリーとなった。

 

 

部屋の窓からは中庭の紅葉が見渡せた。雨がまた降り出していたが雨も滴るいい紅葉であった。

自然と自然の掛け合わせが不自然になることはない。

冷蔵庫に瓶ビールが2本入っていた。備え付けの電話の9番を押すと瓶ビールでも何でもすぐに持ってきてくれた。

9番を3回ほど押した頃に夕食になった。

なんともお洒落な量の料理をいただき、それでも品数が多いのでとてもお腹が満たされた。

 

 

姉が「9番を押すと別料金で和牛サーロインステーキも持ってきてくれるよ」と言ったが

その言葉は窓を開けて中庭に逃がす事にした。

 

 

瓶ビールを6本飲んだ父はメインの温泉に入らずに早々と就寝。その後3時に起きて入ったらしい。

私は夜中の12時半に入った。他に人は居らず約一時間、貸切状態。

おちんちんを振り回した。

部屋に戻ると布団に入り、ここではとてもいえない夢を見てあさが来た。

 

 

翌日、私は一人熱海に残ってMOA美術館に行った。

国宝の色絵藤花文茶壺を見てきた。

この壺はどこから見ても構図に破綻がない、完璧な壺だという。

 

 

昨夜、家族が寝静まった後に窓際のテーブルで姉と少し話をした。

超能力が使える気がするだとか、

インスタグラムってこわいね、とか。

37歳と34歳が声を押し殺して笑っている。

座敷を見渡すと人数分の布団が敷かれ、各々が寝ている。

やたら寝相のいい父。10分に一回起きる甥。寝相の悪い姪。その姪に頭を蹴られて起きる母。

これはこれで、完璧だった。

 

 

おやすみ日本

 

 

 

 

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ハロウィンフェニックス

10月31日(木)、ゴッサムシティの夜です。

 

 

 

夜8時の頃だろうか、立川駅でゾンビと遭遇した。

シベリアンハスキーのような眼、口元は真っ赤。

この世の終わりである。

 

 

 

おそらく八王子で一人、豊田で二人、日野で五人喰ったのだろう。

しかしまだまだ喰いたりないようで

タピオカ片手にニヤニヤしながら近づいてくる。

 

 

 

あぁ、世界堂にタント紙を3枚買いに来ただけなのに

私はここでゾンビに喰われて終わるのか。

 

 

 

こんな事ならオンラインショップで買えばよかった。

駅前のなんとなく気になっていたキャバレーに行っておくんだった。

アイコスのまだ試していない味も吸えばよかった。

三島由紀夫は寿司屋でトロばっかり食って板前を困らせたんだよと誰か一人にでも言いたかった。

 

 

 

どうやら思考回路にも各駅と特急がある。

普段は止まらない脳内の駅にこの数秒間で次々と下車していく。

そしてくだらない停車駅にうんざりしてまだ私は死ねんのだ、と現実に戻ってきた。

 

 

 

もうタント紙なんてどうでもいい。

今は紙の購入より命の確保である。

 

 

 

しかし駅にゾンビがいるのだから、市内はゾンビだらけだろう。

とにかく大きくて頑丈そうな建物に逃げよう。私は走り出した。

 

 

 

しばらくするとある建物が目に入った。

ここなら大丈夫そうだ。急いで扉を開け中に入ると広い空間に機械が並んでいる。

どうやらここでチケットを買わないと更に奥には入れないようだ。

 

 

 

仕方がないのでここでチケットを買った。

小腹も空いていたのでポテトとペプシコーラも購入。

エレベーターで4階に上がると薄暗い部屋に通された。

席に着くと、間も無く照明も暗くなった。

そして目の前の大きな大きなスクリーンに、一人の男が現れた。

 

 

 

彼も口元は真っ赤だったが、ゾンビではなくピエロだった。

 

 

 

おやすみ日本

 

 

 

 

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